【ていれぎ】(平成16年10月22日)

農場付近は石鎚山系からの伏流水が清水となって湧き出ています。この清水は「ていれぎ水」と呼ばれ、日本百名水に選ばれました。松山市も市民が清水に親しめるよう「杖の淵(じょうのふち)公園」を作りました。
毎日、水汲みに来たり、散策する人で賑わっています。上写真は名前の由来となった「ていれぎ」です。水底に生え、刺身の妻にします。中は説明看板。下は公園の様子。
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【秋祭り】(平成16年10月7日)

今朝のNHKニュースでも紹介されましたが伊予路の秋祭りが始まりました。今日は松山地区の神輿巡行で一気に盛り上がりました。上写真2枚は道後の喧嘩神輿です。宮出しと鉢合わせの写真(昨年撮影)。下は養鶏場近くを巡行する神輿でのどかに巡行していました。
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【46番札所 浄瑠璃寺】(平成16年9月15日)

8月7日に掲載した八坂寺のすぐ近くに浄瑠璃寺があります。上段写真は最近目立って多くなった歩き遍路さんでしょうか?中は本堂前で台風で折れた木を掃除していました。幸い大事はなかったようです。下は八坂寺へ行く道標です。
708年行基によって開基。807年弘法大師により堂宇を創建。戦国時代荒廃・中興を繰り返す。その後地元の僧尭音が復興。
「永き日や衛門三郎浄瑠璃寺」 子規(石段登り口左にあります)
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【稲刈り始まる】(平成16年9月5日)

農場周辺で稲刈りが始まりました。松山平野の稲刈りは10月初旬にほぼ終えます。その後の伊予路は秋祭り一色になります。松山平野の秋祭りが最初です。急速に秋らしくなってきました。
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【松山市街】(平成16年8月21日)

写真中央の山が松山城・瀬戸内海に見える島が興居島です。(右が北になります。)人口約48万四国最大の街です。1600年頃の松山城は勝山と呼ばれた山でその周辺には僅かな集落があっただけでした。それ以前は河野氏の居城があった道後が中心でした。松山市には鍛冶屋町・畳屋町・紺屋町・呉服町・木屋町・米屋町等の職人・商人町が多くありました。この事からも人工的に作られた街だとわかります。1694年には松山城下全体で家数5553軒だったそうです。
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【徳川神社】(平成16年7月1日)

農場から真南へ約1.5Kmのところにあります。このお宮は農場からもっとも近い神社です。先日の台風のときは朝早くから、被害に遭わないようにお願いに参りました。被害に遭われた地方の皆さんには申し訳ありません。この神社のご由緒には祟峻天皇・小千宿禰・土岐・河野とかありました。徳川城という中世の城があったようです。四国山脈の山裾に位置し、鳥居の背後の山頂に社殿があります。
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【四国遍路開祖文殊院】(平成16年6月20日)

農場から西へ3Km程にあります。四国遍路元祖 河野衛門三郎の物語の巻物が保存されています。昭和41年植樹祭で天皇・皇后両陛下行幸の際、故八木繁一博物館館長より当院を四国八十八ヶ所発祥の寺院であると言上されたそうです。また当院は弘法大師が衛門三郎の子供の供養と共に悪因縁切御修法をなさった四国唯一の有り難い寺と記されていました。(入口案内板より)
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【田植え開始】(平成16年6月10日)

松山地方で最も遅い田植えとなりました。当農場周辺は例年水の状態によって田植え時期が異なります。今年は平年並のようです。水田は当地にとっては大事な貯水ダムの役目をしてくれます。
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【長慶天皇陵】(平成16年6月4日)

南北朝時代の南朝最後の天皇と言われています。愛媛県玉川町の楢原山山頂にも長慶天皇ゆかりの言い伝えがあります。紀州玉川の里に一時隠れたと言われています。同じ玉川の名に因縁を感じます。この付近は中世動乱の軌跡が数多く残っています。(農場より北東2Km 長慶天皇陵 推定地)
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